2月・春を告げる
2月・如月(きさらぎ)は衣更月と綴るのは、1年で最も寒い時とされる大寒(2020年1月20日)を過ぎても、衣(ころも)を更(さら)に着る月と云われる所以です。
2月には旧暦でいう正月にあたる立春(2020年2月4日)があり、その前日が季節を分けるという意味から『節分』と呼ばれています。ここバンクーバーでは雨も多く、寒い日が続き、週末の散歩道にある桜並木の蕾はまだまだ硬そうです。バンクーバーの春はもう少し先のようですね。
先駆けて咲く花 “梅の花”
2月と言えば、やはり早春に春を告げる花として”梅の花” を思い出します。まだ寒い時期に『先駆けて』その小さな蕾を膨らませる、 ”春を告げる花” が 梅の花です。
2月の花とも言える”梅の花”から『先駆け』つながりで、日本酒にまつわるお話をしてみたいと思います。
梅一輪 一輪ほどの暖かさ
「梅一輪 一輪ほどの暖かさ 」は、松尾芭蕉の弟子だった服部嵐雪が詠んだ俳句です。
この句は「梅の花が一輪また一輪と咲くにつれて、だんだんと寒さが和らぎ、暖かくなっていく」という意味だそうですが、「梅の花が一輪咲いたら、その周りに一輪程のほのかな暖かさが感じられてくるものだ」という解釈もあるようです。
私はてっきりこの後者の解釈だと思っていましたが、人それぞれその季節への想いによって、その季節の感じ方も違ってくるだろうと思います。
「日本酒発祥の地」の地は?
先駆けつながりで、今回は「日本酒の起源」についてお話をしたいと思います。
日本酒の起源は紀元前中国で稲作が始まり、そこで造られた「米酒」が日本へもたらされたのを起源とする説がありますが、中国から今のお酒の元となるものが伝来したことから、九州、出雲地方にも日本酒の発祥であると主張している場所もあるようです。
その中で「清酒の発祥の地」として、次の2か所が有力とされています。先ずその1つめは、奈良市の東南にある静かな山間にある菩提山真言宗・正暦寺です。15世紀、室町時代に僧侶達が醸した「僧坊酒」と呼ばれるものが、この正暦寺にあったと記録に残っています。
これに対して兵庫県伊丹に16世紀頃、酒造や海運で財を成した豪商・鴻池家の先祖にあたる人物が「にごり酒」の樽に誤って灰を落とした時、お酒が澄み、これを「清酒(すみさけ)」の誕生とした説があります。ここでいう日本酒は「どぶろく」のような濁ったお酒から「清酒(すみさけ)」という現在の「清酒(せいしゅ)」の元となったものを指します。
奈良・正暦寺 vs. 兵庫県伊丹市鴻池家
奈良・正暦寺では仕込みを3回に分けて行う「三段仕込み」や、酒母の原型である「菩提酛(ぼだいもと)造り」などを発明した言われ、現在の日本酒の醸造技術の基礎をこの室町時代末期に僧侶たちが生み出したと言われています。この後、寺院の僧侶が絶大な経済力や政治力を持つ原動力になった様です。
これに対して、兵庫県伊丹市にある豪商・鴻池家は「木炭でろ過したすっきりした味と香りの清酒を造り出した」として江戸で販売を広めていきました。
その後、伊丹は灘に酒造りを取って代わらますが、流通を考え、重い甕(かめ)を軽い木の樽に替え、六甲からの流水で水車を回し精米技術を一層高めていったと伝えられています。これらの努力から、辛口「灘の男酒」として、輸送に耐えられる品質の高い日本酒を生み出した地として知られるようになりました。
日本酒は数えきれない先達が、知恵と汗をしぼり、生み出してきた伝統の業なのです。これは日本の素晴らしい文化とも言えるでしょう。
寒造りが一段落するこの2月、未だまだ雪深い酒蔵に白梅の香りがほのかに漂います。立春を迎えるこの如月、静かに春が近づいてきます。先達から受け継いだ仕込みを頑なに守りながらも、明日から新しい仕込みに精魂こめて醸していきます。この先達の業に一献献上!
(一献献上はカナダ・バンクーバー情報誌Oops!うっぷすで連載中です。)